武蔵美『書物の美』展で寿岳文章と遭遇する。
もう終わっちゃったけど、先ごろ武蔵野美大で開催された『近現代のブックデザイン考Ⅰ・書物にとっての美』展カタログに寺山祐策教授が寿岳文章氏について記されているので、つい昔のことを思い出してしまった。
僕は1970年に武蔵美に奉職して以来、事実上永らく寿岳さんの『書物の世界』を下敷きにしてきたので感慨深い。反面、寿岳流書物愛にはまってしまってそこから抜け出るのが難しく、一方で難儀な思いもした。今では寿岳書誌学はいささか英国流に偏しているのかな? とも思うようになっているが、この辺り関して、この企画が今後どう展開してくれるのか楽しみである。この半世紀というもの、書物デザインのあり方がグラフィックデザイナー先行で来たように思うけど、いわばデザイン本流のムサビ総本山でこの企画が立ち上がったことに期待が膨らむ。
ところで、寿岳さんは昔、私の家の風呂に入っていったことがある。私が高校生の頃だから半世紀以上前のこと。何のことはない、隣家が寿岳さんの親戚だったのだが、そこには五右衞門風呂があって、寿岳さんはこれに入浴するのを楽しみにしていて、時々来訪していたらしい。その日は滅法蒸し暑い夏の日で、私も家に居たのだから夏休み中だったのかもしれない。当時、寿岳文章といえば当代きっての教養人として名を轟かせていて(一介の高校生だった私はそんなことは良く分からなかったんだけど……、当時理科志向だったし)、隣家では少壮科学者である婿さんが古い鉄釜風呂をムキになって磨き上げたら、やり過ぎて釜の底に穴を開けてしまい水が張れなくなった。そこへ汗水たらした寿岳先生がご到着。風呂釜の有様を知ってがっかり、所在なく縁側(昔は何処の家にもこんなものがあった)に掛けて一息入れていると、隣家の風呂の煙突から煙が出ているのを発見した(当時は石炭を焚いてもくもくと黒煙をあげていたんだよね)。
そこで「隣家の風呂を借りられないだろーか」と文章氏が言い出したらしい。当時、我が家と隣家とはことのほか親しくしていたこともあって、早速、風呂を使わせろとの伝言が届いたというわけ。母はそれを聞いて驚愕し、固辞した。天下に轟く著名人の寿岳先生などとても恐れ多くてお迎えする状況にはなっていない、という理由で。何となれば、当時この近辺はまだ水道も通じていなくて、各戸が手押しポンプで井戸から水を汲み上げ、バケツリレーで風呂水を満たす。それでやっと風呂を焚く準備ができると。つまりえらい労力を必要とするので、そうそう頻繁には水替えをしない。ぼぼ一、二度は炊き直して入るということをやっていたのだ。当時、その主たる労働力は私というわけ。事もあろうに、その日はあまりに暑かったので滅多にやらない三度目だかの炊き直しをした日だったってわけ。親父は単身赴任で島根に居たけど、母と汚れ盛りの男の子三人の四人が小さな湯船で三回目の沸かし直しで入った後だった。湯は白濁しているのだよ。寿岳先生は「それで良い」という。「そんな滅相もない。では水を張り替えて新たに沸かしますから少々お待ちください」「そんなことをしていただくいわれはない。ちょっと一汗落流したいだけだからそのまま使わせてください」と、手ぬぐいを下げてやって来てしまった。以来、ずっと後々まで母は「あの時は面目なかった」と、繰り返し言っていた。
当時の超著名人であった寿岳先生は、まあ今日で言えばテレビに良く顔を出すタレント教授みたいなもので、私は有名人が我が家の風呂に入っていった、という程度の認識はあったものの、それからかなりの後、先生がある意味で心の支えとしてのっぴきならない存在になるとは思いもよらなかった。あの「ウチのお風呂に入っていった」寿岳先生にすっかり私淑してしまう事態になったなんて、巡り合わせとは不思議なものである。
それから更に後になってから、若年の寿岳先生は家庭の事情からある寺の小僧として出され、随分御苦労と苦学を重ねられた方だと知った。濁って汗臭くなった風呂に浸かるなんて、ちゃんちゃら平気なんだってことを知って更に親しみを抱くようになった。
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Comments
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Posted by: CPA Marketing Forums | 2014.12.20 05:13 AM