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December 2012

2012.12.15

九ポ堂上掲.pdfの読み方について

「九ポ堂/DTP/電子ブック」に上掲した.pdf版はモチロンただ読みして下さい。ちょっとだけ「立ち読み可」なんてケチなことは申しません。そんな「反ネット的」な処置は一切なしです。この.pdfは全部読めます。もしかしたら、そのうちお洒落な「紙の本」として九ポ堂から上梓(!)するかもしれないですが、その節はよろしく。http://goo.gl/hCQ2A
 .pdfのdownloadの仕方は色々でしょうが、ここでは特にスマホやタブレット端末を意識して作りました。iPadではいまのところ「i文庫HD」アプリがお薦めです。「九ポ堂/DTP/電子ブック」のページhttp://goo.gl/hCQ2Aで、いずれかの本の扉表示をクリックしていただくとすぐdownloadが始まりますが、右上に「iBooksで開く」「次の方法で開く」の表示がでます。「次の方法…」で「i文庫HD」を指定していただくと良いわけです。
 iBooksは、あらかじめiPadに乗っているので、もちろんこれで繙読可能です。しかしこのアプリはapple提供の書籍には「ページ捲り」の機能が有効ですが、自前で(タダで)UPした.pdfを繙読する際には対応していません(2012/12現在)。で、ちょっと有料ですが「i文庫HD」ですと「ページ捲り」が楽しめます(クダラネーという向きにはお薦めしません)。
 これだと「右開き」「左開き」のどちらかが指定できますので、縦書きの本なら「右開き」を指定してください。自作、他作の論文、小説、その他さまざまな日本語文書(マイナーで結構)を.pdfに仕立てるのは簡単ですので、こうすると結構リッチな気分になりますゼー。
 ●ここで『吾輩は猫である』を2段組にしたココロはロージン向けの涙ぐましい配慮であります。縦書きの場合、拡大すると版面がすぐディスプレイからはみ出してしまう。すると一行毎にスクロールして読まなくてはならないという実に馬鹿げた事態に遭遇します。それを避けるための「行届いた配慮」の表れがあるのだと、ご老人の方々にご推奨いただけるとありがたいです(タブレットの操作そのものがアカンか。じゃあ、アナタの老後にどうぞ)。
 で、もしかして『猫』なんて中学時代の読書感想文を書く際に読んだから……とおっしゃる向きも多いのでは? これを中学生で読んだのはマチガいでしたよー。せめて、30最以上の家庭人ないしはその経験者がお読みいただくことをお薦めします。あなたが50歳以上でしたら心に沁みます。もっとも漱石はこの『猫』を38-9才にかけて書き、49才で死んじゃったんですよねー。10年間の活動期を一気に駆け抜けた人です。天才って言うのは当たっているけど、文豪にして奉っちゃうのはどうでしょうか。
 家柄としてはともかく、実際の育ち方は江戸庶民階級のそれだった。幼少時に罹災した疱瘡で顔が月面状態だったそうで、これは当時にあってもすでにオボッチャマの罹る病ではなかったそうです(千円札の肖像は修正もの)。
 それだけに江戸下町の人情と落語的気っ風にどっぷりと浸った生涯だったと思うのですがどうなんでしょうか? その後の権威化が甚だしい文豪像からは相当乖離した生き方が、『猫』における奥さんや姪っ子とのやりとりの絶妙さから伺うことができます。落語を楽しむ気分で味わって下さい。底本に関する解題は、http://urx.nu/2LGJ
 ●『中華料理の作り方百六十種』の著者山田政平は、私の亡き母の叔父に当たりますが、17才にして(1910年!)中国に渡り、それまでは満漢全席等の宮廷料理として日本に紹介されていた中華料理に対して、庶民料理としてのチューカ(ラーメン、餃子、肉マン、シューマイ等々)を早い時期に紹介した一人です。無論、筋金入りの民主主義者でした。私はとても尊敬しています。彼の心意気に反することは絶対にできません。本書に関する解題は、ある程度.pdf内で試みていますが、奥歯に物が詰まった感は拭えません。悪しからず。ところでここに上掲した.pdfにはページ配分等にまだ不備があります。なるべく早めに修正しますので、よろしくご容赦ください。

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2012.12.06

武蔵美『書物の美』展で寿岳文章と遭遇する。

 もう終わっちゃったけど、先ごろ武蔵野美大で開催された『近現代のブックデザイン考Ⅰ・書物にとっての美』展カタログに寺山祐策教授が寿岳文章氏について記されているので、つい昔のことを思い出してしまった。
 僕は1970年に武蔵美に奉職して以来、事実上永らく寿岳さんの『書物の世界』を下敷きにしてきたので感慨深い。反面、寿岳流書物愛にはまってしまってそこから抜け出るのが難しく、一方で難儀な思いもした。今では寿岳書誌学はいささか英国流に偏しているのかな? とも思うようになっているが、この辺り関して、この企画が今後どう展開してくれるのか楽しみである。この半世紀というもの、書物デザインのあり方がグラフィックデザイナー先行で来たように思うけど、いわばデザイン本流のムサビ総本山でこの企画が立ち上がったことに期待が膨らむ。
 ところで、寿岳さんは昔、私の家の風呂に入っていったことがある。私が高校生の頃だから半世紀以上前のこと。何のことはない、隣家が寿岳さんの親戚だったのだが、そこには五右衞門風呂があって、寿岳さんはこれに入浴するのを楽しみにしていて、時々来訪していたらしい。その日は滅法蒸し暑い夏の日で、私も家に居たのだから夏休み中だったのかもしれない。当時、寿岳文章といえば当代きっての教養人として名を轟かせていて(一介の高校生だった私はそんなことは良く分からなかったんだけど……、当時理科志向だったし)、隣家では少壮科学者である婿さんが古い鉄釜風呂をムキになって磨き上げたら、やり過ぎて釜の底に穴を開けてしまい水が張れなくなった。そこへ汗水たらした寿岳先生がご到着。風呂釜の有様を知ってがっかり、所在なく縁側(昔は何処の家にもこんなものがあった)に掛けて一息入れていると、隣家の風呂の煙突から煙が出ているのを発見した(当時は石炭を焚いてもくもくと黒煙をあげていたんだよね)。
 そこで「隣家の風呂を借りられないだろーか」と文章氏が言い出したらしい。当時、我が家と隣家とはことのほか親しくしていたこともあって、早速、風呂を使わせろとの伝言が届いたというわけ。母はそれを聞いて驚愕し、固辞した。天下に轟く著名人の寿岳先生などとても恐れ多くてお迎えする状況にはなっていない、という理由で。何となれば、当時この近辺はまだ水道も通じていなくて、各戸が手押しポンプで井戸から水を汲み上げ、バケツリレーで風呂水を満たす。それでやっと風呂を焚く準備ができると。つまりえらい労力を必要とするので、そうそう頻繁には水替えをしない。ぼぼ一、二度は炊き直して入るということをやっていたのだ。当時、その主たる労働力は私というわけ。事もあろうに、その日はあまりに暑かったので滅多にやらない三度目だかの炊き直しをした日だったってわけ。親父は単身赴任で島根に居たけど、母と汚れ盛りの男の子三人の四人が小さな湯船で三回目の沸かし直しで入った後だった。湯は白濁しているのだよ。寿岳先生は「それで良い」という。「そんな滅相もない。では水を張り替えて新たに沸かしますから少々お待ちください」「そんなことをしていただくいわれはない。ちょっと一汗落流したいだけだからそのまま使わせてください」と、手ぬぐいを下げてやって来てしまった。以来、ずっと後々まで母は「あの時は面目なかった」と、繰り返し言っていた。
 当時の超著名人であった寿岳先生は、まあ今日で言えばテレビに良く顔を出すタレント教授みたいなもので、私は有名人が我が家の風呂に入っていった、という程度の認識はあったものの、それからかなりの後、先生がある意味で心の支えとしてのっぴきならない存在になるとは思いもよらなかった。あの「ウチのお風呂に入っていった」寿岳先生にすっかり私淑してしまう事態になったなんて、巡り合わせとは不思議なものである。
 それから更に後になってから、若年の寿岳先生は家庭の事情からある寺の小僧として出され、随分御苦労と苦学を重ねられた方だと知った。濁って汗臭くなった風呂に浸かるなんて、ちゃんちゃら平気なんだってことを知って更に親しみを抱くようになった。

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