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July 2011

2011.07.05

報道の偏向がもたらすもの

 まるで昨日のことのように鮮明な印象が薄れないのは、ベルリンの壁の崩壊に伴う様々な事象の連続であろうか。
 そんな中でも特に記憶に鮮明なのが、壁の崩壊直後に時のフィンランド政府が「向う何十年だかにわたって、ソビエトに占領されたきたフィンランド領について、ロシアへの返還請求権を凍結する」と発表した事件である。
 ご承知の通り、旧ソ連の崩壊によって多数の周辺衛星各国が競って独立宣言を行っている最中に、こともあろうに必ずしも衛星国ではなかったフィンランドが(微妙な関係だったのだが)何故こんな宣言をしたのか、このニュースは当時のヨーロッパ諸国間では相当な反応を引き起こしたという。
 このニュースを、私は当時NHKFMの朝7時のニュースで耳にした。私は、もう長らく、早朝6時の放送開始から流れてくる音楽を夢とも現ともつかぬまま聞き流す時間をタイマーでセットしているのだが、やがて7時が訪れるとほぼはっきりと目覚めていく。こんな日々の繰り返しのなかで、我が耳をそばだてるニュースというのは珍しく(昨今のFUKUSHIMAにも驚いたが)、この時は、あわてて起き上がり居間のTVにスイッチを入れたが、どこの局でも全く報道していなかった。新聞にも眼を通し、勤務先でも普段読んでもいない数種の新聞を皆チェックし、そしてNHK3時のニュースにも耳をそばだてたが、一切フォローがなかった。狐に摘まれたとはこのことであろう。その後、週刊誌までは調べていないし、あるいは他日にどちらかの新聞で扱われていたのかを確かめていないのだが、結局巷での大きな話題を喚起するにはいたらなかったと思う。
 それからずいぶん後になってから、デンマーク在住の日本人女性にこの顛末を話したら、「え、そうだったの? ヨーロッパではずいぶん大きな話題になった事件だったわよ」と言われた。
 何故だろう? これは明白な報道管制ではなかろうか? 「民主国家」日本で何故こんなに手際良く情報コントロールができるのだろうか? 当時、すでに北朝鮮による自国民への情報が徹底的に制限されていることが日本では大きな話題になっていて、「報道の自由」を奪われた「国民の不幸」が喧伝され、対して日本における報道は正義に基づくものであると強調されていた。少なくとも一般大衆はそれを信じて、我が身の置かれている先進的「自由気まま」が許される国家環境に較べて、北朝鮮人民の不幸に同情の念を抱くのが普通の図式であった。
 しかし、実態はいささか異なった様相を呈していたのだ。我々は何でも知らされていて、しかも何でも知る権利があると擦り込まれた我が日本大衆はどう形成されてきたのだろうか? 我が国での報道管制はどうしたら可能なのだろうか? 表立った検閲制度がないのだから、そうそう明白な管制は不可能な筈なのに、現実には見事に国民に知らされない情報が多々ある。そのメカニズムは? 以来、不思議に思うままに今日まで来てしまっていた。必ずしも私は報道とか言論問題に関して素人ではない、との立場に居ながらにして、根本の根本のところが不明なのである。我が身の不明のいたすところ、なんてダジャレで済ますわけにはいかないが。
 その仕組みが今回の福島事故を巡る報道各社のご都合主義な姿勢で再度露呈してしまった。その立ち位置が、時間の経過と背後の意向に微妙に揺れ動きながらとはいえ、自分の意志で責任を持って「発言」していない構造が透けて見える。フィンランド事件の時とは打って変わって利害の都合があからさまに反映する。日頃「俺は正義だ」を振りかざしている連中の正体がかくも見事に露呈していることに、さて、我が善男善女はどれだけ気付いているのだろうか? すでにすっかり洗脳されきっているところが恐ろしい。政治家も、報道も、経団連も、そこのところをすっかり見透かしているのだろうか? まさかとは思うがすでにもう飼い馴らしてしまったんだろうか? バベルの塔は崩れ去るより外なかったし、ソドムとゴモラは淫乱と狂気の巷に沈んだ。
 原発は再稼働に向けて「民意」を取りまとめていくのだろうか? いま国民総動員の流れが成立しつつある。待っているのは取り返しのつかない「徹底敗戦」だが、今回の敗戦は周辺諸国をも巻き添えにする。
 我らの民意形成の仕組みは、支配構造が明確な北朝鮮に於ける報道管制よりも遥かに手が込んだやり口なのだが、この仕掛けの恐ろしいところは、「もの言えば唇寒し」「皆で渡れば怖くない」というようなマイナス志向が支配する空気の中で、ちょっとでも辛口の正論を吐いたりしたらたちまち「窓際」に追い込まれてしまう仕組みだろうか。目先のやっかい者を排除するだけの小さな意向が束になると恐ろしい潮流となって事態を飲み込んでいく。かつて報道も軍隊も国家もこの潮流にに取り込まれていった。明治以来の近代日本に蔓延しているこの潮流構造は手痛い敗戦に際してもさしたる変化がかった。この強固な社会構造は果たしてどの段階で成立した「日本の伝統」なのだろうか? かつての大平洋戦争に民衆を駆り立てた報道・軍隊・国家の三位一体があの災禍をもたらした。今回の福島災禍はどのような「敗戦」にこれを導いていこうとしているのだろうか? そこには何らの明確な「意思」を見いだせないところが怖い。
 面倒臭い正論を吐く者達を、さしたる動機も根拠もなく曖昧なままあらかた排除してしまったた後のぬるま湯のなかで「何となく」形成される「世論」。この「護送船団に乗っている連中は誰だ」と言ってみても掴みどころのないヌエのような亡霊が見え隠れするだけだ。この状況を退廃の極みというのだろうか? であれば行くところまで行くしかないか?

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