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April 2011

2011.04.25

辻井喬巻頭インタビュー『東京新聞』110424

 昨日の東京新聞一面のトップに 辻井喬( 堤清二)氏の談話が掲載されたのには驚いた。氏は戦後経済成長の渦中にあって、自らの経済活動とシンクロさせた市民消費文化、芸術思潮、伝統芸能等の野放図な伸展を促す潮流を招来させた勢力の旗頭のような存在であったわけだが、今、「がんばろう日本」「日本は強い国」とTVが叫ぶのは60年前の国家イメージと差がない、と言っている。僕も近頃しきりにTVでこのセリフが繰り返し流されるのを耳にして、きわめて納得のいかないマガマガしさを感じていたので大いに同感してしまったのだ。氏が〈大量消費文明は、原発問題とともに終わりつつある。「消費は美徳」は、今や危険思想にすらなった〉と語るのを、昔日の感を深く抱きつつも耳を澄ませる思いだ。
 60年前と言えば、氏は堤清二として日本共産党に属し、全共闘で活躍していた頃だろう。この頃彼が国家権力と対峙する際の国家概念がこのようであったことは思うに難くないが、この直後には共産党を除名されて西武百貨店の店長におさまり、今度は立場をほぼ逆転させたかに見せつつも、この国家概念に対抗する手段として、大衆の消費を喚起しつつこれを変容させようとしたらしいことは何となく伺い取ってはいた。
 しかし、そのどこかに大衆動向に対する読み違いが潜んでいたのだろう。結局、消費文化の肥大化は大成功したものの、巨大な大衆を金の亡者に仕立て上げ、芸術も伝統芸能もことごとく渦巻く消費文化の中に溶融していってしまった。
 今回の震災に際して「被災地の人たちが、必死になって生きようと我慢する強さ」を目の当たりにし、〈今まで日本人は、忍耐強く従順だから、だめなんだと言われ、僕も内心そう思っていました。でも、それは日本人の伝統的な美徳でした。僕はそのことに気づき、反省しています〉と、いたって素直な語り口であるが、これは実に決定的な反省である。
 私には、若き日の堤清二との一度きりの邂逅の思い出がある。

つづきは http://homepage2.nifty.com/seide/michio/3_0.htm

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2011.04.06

隠蔽体質?

 役所や東電から出てくる何を意味するか皆目分からない数値が錯綜して、何だか訳が分からなくなるので、何か重要な情報を隠蔽して煙幕をはっているのではないかという憶測が生まれ、またそれがマスコミストリームに乗って「風評被害」をもたらす。悪循環だ。
 あちこちの役所から、脈絡もなく新たな基準値越えの数値が発表される。それをマスコミが何ら整理しないで(その能力もないが)針小棒大に垂れ流す。ついでにオドロオドロしい声音を被せて脚色し、更に不安を煽る。自分たちは「文科系」だから分からないのは当然だと言い放ちつつ、しかも社会不安を掻立てる。政治も国家危機も、全てを芸能スキャンダル報道と同じ手法で囃し立てる。
 この時点で、各役所は必ずしも意図的に事態を隠蔽している訳ではなかろう。事態を隠蔽できるほどの権限を持つ役所がないところがまあ民主的と言えば言えるのか? ひょっとすると首相にすらその権限がない? 些細な情報、重大な情報を同列に並べて垂れ流して事態を混迷に導いている。自分の担当領域で「暫定」基準値を越えたら即発表するのは、厳重に課せられた使命を忠実に履行しているのだからやむを得ない。これが日本の「お役所仕事」の基本姿勢だ。これらの情報に何ほどかの斟酌を加えて発表したりしたら、それこそ後でお咎めを受けて、立場が危うくなる。定められたことを型通りに履行するのは、保身第一を旨とする役所に取って必須業務なのである。これさえ守っていれば安泰だ。ここで決定的に欠落しているのは、誰も俯瞰的な見晴らしを獲得していないことだ。その方が責任の所在が曖昧になって、何となく事態に沿って流されるままに身を預けていれば良い訳だから、高度経済成長というエネルギー垂れ流し時代にはこれでやっていけた。
 千葉県産のほうれん草で瞬間的に基準値を越えたら即そのまま発表するのは下級役所に取っては当然のこと。これを怠れば身の保全が保たれない。役人の姿勢は国民の方を向いていない、といまさら批判しても始まらない。我が国はそういう位置に役人を位置づけるのが「伝統」だからである。役人を国民に奉仕する本来の位置に置き直すにはいろいろの方法があるらしいが(そのアイデアはそちらの専門家にお任せするとして)、それにはきの遠くなるような時間がかかる。
 私が問題にしたいのは当今のマスコミの姿勢の方である。日頃から世論を正しく迅速に形成する使命があるとか何とかエラそうな口を叩く端から、さまざまな方角、時間から無秩序に発信される役所情報を、なんらの整理も施さずそれに輪をかけて乱雑に放り出す。使命もへちまもない。これでは日本丸は舵を失った漂流船と同じだ。
 極めて直情的に反応するオバサン・オジサン達(この場合、女性優先ね)の先回りをする短絡発言で、事態をどんどん混迷に導くのが着飾って聡明そうに見えるネーチャンキャスター達だから厄介なのだ。ほんの少しでも科学的因果関係に対して謙虚に向き合っていれば、到底発し得ないような発言をし、それが一瞬にして電波上で拡散されていく。
 それを批判されると「文科系」だからと言い訳をする。そんなら始めから出てくるな。事態は容易ならざる段階なのだ。中学時代には「理科」だつて学んでいたはずだろう。日頃、科学をないがしろにして当然としている「文科系」の不心得が、とんだ風評被害をもたらしている。
 今回の「大事故」は、科学に対する日頃のジャーナリズムの無関心と無知が招いた極めて深刻な事態であることを、視聴者共々咀嚼し直すことをしないと、この混迷は長期にわたって治まらない。
 より短絡的に言えば「TVは黙っていろ」といえるほどの事態。ACが能天気に「強いニッポン」なんて言って民衆に目くらましを掛けるのを唯々諾々と受け入れている段階ではない。

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