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July 2006

2006.07.18

40年前の朝のコーヒー

 つい昨日のことのように、もう37、8年以前の日常感覚がリアルによみがえる瞬間がある。老いの妄念か。その情景がこと細かに脳裏に浮かぶわけではないが、臨場感が妙に生々しい。だからつい近頃のことのように感じてしまうのだが、実は半世紀近くも過去の記憶なのだ。モーツァルトの生涯は36年弱だったそうだから、それとくらべると、以来、その倍近くの年月をほぼ無為にやり過ごして、しかもこんな他愛ない回想を反芻して生きている自分がいかに凡人そのものであるかを証明しているのかもしれない。
 やがて20代に決別しようかという日が目前にせまる頃、その業界にあっては、一応一枚看板であるといわれている業界誌の編集部に潜り込んだ。インテリアデザイナー藤森健次氏の口利きに助けられてのことである(恩返しもしないうちに、氏は1993年に亡くなられた)。わたしは世間にでるまでに浪人を重ねたり、夜学に通ったりで20代の前半過ぎまでは右往左往の日々を過ごしてきたので、当然、就職だって一流企業の表玄関から大手を振るって臨むなんてことはありえなかったが、いざ業界に入ってしまえば、結構その領域内での視界は自ずとひらけるもので、先ずはしがない業界誌に身を置くところからスタートして、ま、それなりに一流誌といわれる編集部に転身を図ったのである。
 ここまでの作戦は順調に進んだのだが、郷に入ってしまえば、それはそれ、うまい話ばかりではない。新しい職場に失望したというのではないが、一応目的地点に到達してみたものの、前方に洋々たる展望がひらけているというような場所ではなかった。入社3日目にしてシラケた気持ちに囚われてしまったのだ。
 で、その出版社は国電四谷駅から徒歩5分というような場所にあり、近所には当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった田中土建だとか美術出版社がご近所さまだった。いつだったか、種田山頭火の句集を新書版のシリーズとして刊行して当てた潮文社の奥付が勤務する出版社の近くになっていたので探しに行ってみたことがあった。するとちょうど社の裏手の坂道に沿ったアパートのような風情の建物にその表札を見付けた。ふーむ、こんなところでベストセラーを当てたんだ、とちょっと感慨に似た気持ちを抱いたのだが、私自身、その2年ほど前には、池袋の結構ヤバイ風俗街の裏手を通り抜けたところのシモタ屋が仕事場だった。今あの辺りを歩いてみてもどの辺りだったのか皆目見当がつかない。池袋駅から今のサンシャインに行くまでの途中だったはずなんだけど。
 まあざっとこんな土地柄で新しい職場に通い出したのだが、当時、四谷駅を一丁目口へ出て、堀に沿って市ヶ谷方面に下り始める間もなく、左手に瀟洒なビルがあって、もう名前も忘れてしまったが、その一階がわりと広々としたスペースのあるレストランになっていた(イタリアンだったろうか)。4、5階建てのモダンな建物で屋上に「芸術生活」と「PL英会話」の巨大な看板が乗っかっていた。つまりPL教団関係のビルだったんでしょうね。 ひょっとしたらレストランも教団経営だったのかもしれない。っていうのは、早速私はこの英会話学校に登録してしまったのだが、同じクラスにこのレストランのコックが加わっていたという分け。つまり教団関係者だったのだろうと勝手に想像している。
 私が少年、青年時代を一貫して避けて通ってきたのが「英語」だった。どういう巡り合わせでこうなったのか、最近になってからその原因について思い当たるところがあるのだが、それは別稿で語ることとして、兎にも角にも、青春の迷走の根源に英語に対するコンプレックスがあったのだ(結局それは今に至るも解消されないままである)。それで、新しい職場環境に辿りついて3日にして将来への展望を閉ざされた気分になったところへ、ならば外国語を制覇して新しい境地を開拓するしかない、と思ってしまったのですね。PL英会話には早朝クラスがあって、朝7時から開講していたのだ。7時に間に合うためには、国立の住まいを5時半に出るわけです。今どきの出版社がどのような案配かは知らないけれど、当時、私がいた業界は建築業界で、ちょうど大阪万博の前夜でしたねー。そこで私は月刊誌を担当し、ここを辞める寸前には、正にその万博取材が中心的な仕事だった。つまり帰宅はほとんど午前さま。その日のうちに家に帰り着く日が、月に数日しかないという働きぶりだった。働くのは好きじゃあないんだけれども、雑誌編集者である限りは働かない分けにはいかないってだけのことだから、自分で自由になる時間は早朝に求める外はなかった。ってことは、就寝時間がせいぜい4時間という期間を3年ぐらい続けたのかしら。冬場の朝はまだ夜も明けていない。天空に月を戴いて、凍て付く坂道に足を取られながら家を出た。いたって若い時分から今日に至るまで、意地汚く寝惚けるのが人生最大の楽しみなんだけど、この間の異常な日々は我ながらいまだに信じられない。
 こうして過ごした数年間で英語がちゃんと身に付いたかというと、決してそんなことにはならなかったのだが、まあなんというか相手に何かを伝えたい場合には片言だろうが身振り手振りだろうが、とことん分かってくれるまで食い下がるっていう押しの強さが必要だということを知っただけだった。まる一日を仕事に費やし、4時間の就寝で予習も復習もしないままモーローまなこで出席しても目蓋を開いているのがやっとなので、常にぶっつけ本番。決してうまくはなりませんよ。でもさらにウワテがいるもので、くだんのイタリアン・シェフはわたしより数等できなかったなー。語学がわたしよりダメな人がいるっていうことに変な驚きを感じている間に、かれは早々にイタリアへ修行に旅立っていった。いまどうしているかなー、もういい年だよなー。イタリア語ペラペラなんだろーなー、ヨメさんもイタリア人で、チョー美人の娘にすでに孫が生まれていたりなんかして、人生って分からないよなー(何を勝手にモーソーしているのだ)。ひょっとして、今をときめく鉄人シェフの若き日の姿をわたしは目撃していたのかしら? かれは誰だったのだろう?
 会話学校はこんな調子だったのだけれども、7時に始まっタ授業も8時だか8時半には終っていたのだろうか。いまになると、かつての職場が何時に始まっていたのかも思い出せない。9時だったかなー、10時ってことはないと思うのだけど、とにかく学校が終わってから職場が始まるまでの時間を潰す場所を見つけるのが難しい。1階のレストランだって早朝からはやっていない。
 それが思いがけなく、学校から会社に向かう途中に比較的早い時間から店を開く喫茶店を見つけたことが幸いだった。ただ大抵の日は、店のシャッターの前でしばらく待っていると、早番のおねーさんが駆けつけてくるのだった。狭い階段を2階に上ったところがお店だったが、10人も入れば満員になるほどの小店で、いま考えても何がなんだか良く分からない店だった。しばらく通っている間に、店のオーナーは日本橋で歯医者をやっている女医で、その旦那が日大のK教授。よく分からない組み合わせの夫婦だが、K教授の方は当時の日中友好協会のお偉いさんだったようだ。悠揚迫らない風貌と偉ぶるところの全くない振る舞いが、中国の大人とはこんな人のことを言うのかな、と思わせたものだ。
 ここでモーニングサービスを摂ってとりあえず腹を満たし、頃合いの時間を見計らって出社するのだが、あいつはいつも早朝の喫茶店から出てくる変なやつだということが会社ではすぐ広まってしまった。しかし、それより前の時間に何をやっていたかまでは知られずに済んだ。多分、在社期間ずっと早朝英会話に通っていたことは、現在にいたるまであの職場仲間には知られていないはずだ。
 改めて詮索する気は毛頭無いが、この喫茶店はやっぱり変な店だった。到底商売になる規模ではない。当時の日中友好協会がそも如何なる社会的位置にいたものか分からないが、つい不思議に思ってしまう。K教授には数回偶然の形でお目に掛かって話を交わしたが、アヤしいお誘いらしきそぶりはなかった。もともとお眼鏡にかなうような視界に私がいなかったと言うことかもしれない。
 ときどき早朝客の中に闖入してくる体格の良い青年は、当時ドイツが広く海外から募っていた炭鉱労働者として働きに出たが、日本に帰ってきたらドイツ語ができるようになっていたので、それなりのインテリ仕事に就きたいという希望を持っていて、K教授にアプローチしているようだった。なんだか急ごしらえのアンバランスを感じはするものの、インテリといえば確かにそう言えていて、いわゆる普通の力仕事にはもう戻れないという、変な隘路にはまってしまった青年だった。もともとが炭鉱労働者で、そのノリのままドイツに出稼ぎに出たが、帰国後はまたもとの炭坑に舞い戻った人とかもいた時代だ。その飯場にドイツからヨメさんが付いてきたりなんかして、新聞やTVが格好のネタにしていたけど、後日譚はどうなっているのかなー。不思議な時代だった。
 大阪万博開催まで、あと1、2年という時期だったので、この向上心あふれる青年は希望通りにステップアップした仕事に就けたのだろうと思うが、その後のことは知らない。それからややしばらくして、私の方も生意気ながら万博と建築業界に将来を掛けた夢が抱けなくなって、しかも英語も覚束ないままにこの世界から足を洗ってしまった。'70年大阪万博開催の年、30歳になった時だった。
 それ以降、この喫茶店には行っていないし、英会話学校もレストランも遠の昔になくなった。美術出版社もすでに引っ越して、かつて勤めた出版社は盛業中だが、看板雑誌だった月刊誌は2004年以降休刊のままだ。

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