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April 2006

2006.04.21

手袋の白昼夢

「何かやったなっ?」という予感があったのだが気がせいていたのでそのまま席を立って帰途についた。その予感が何であったかは車中の人になってからやっと気付いた。手袋が片方しかないのだ。つまり片っぽうを失くしてなくしてしまった。いい加減にポケットにねじ込んで立ち上がったのでどこかで落としたのだろう、あーあ。片っぽだけ残ってしまった手袋ってどうしようもなく空しい。
あくる日、昨日の道を逆向きに辿る途次、路上に目を泳がせながら歩いたのだが、やっぱ見つからんかった。安物の手袋だが、いざ片方を失ってしまうと、残されたもう方っぽのやるせなさが妙に身に染みる。処分するよりほかにどうしようもないのだろうか。
ところが、思いがけない場所でなくした方のヤツを見つけた。仕事場の玄関先に置かれている作業台の上に、所在なげに置き去りにされていたのだ。多分、この近辺で落としたのを誰かが拾って台上に放り上げておいてくれていたのだ。あれからここを何度も通っているのに今まで気付かなかった。心なしか、夜露を含んでしなだれている。でも、以来、捨てきれずに鞄の底に取り残されていた方っぽと組み合わせると左右びったりと揃って元通りの組み合わせになった。
勇躍、両手にはめて帰路に付く。なんとなくルンルン。
ところがである。下車駅前にある古書店の平台セールに遭遇。これがCD3枚800円のセール。土地柄なのか、ときどき行われるこのセールはロックやポピュラーに混ざって、妙にマニアックなクラシックのアルバムが混ざっている。リゲティの室内楽2枚。クルト・ワイルの交響曲1番と2番。これで800円。いま所持するエルガーの何枚かもこのセールで買い込んだのが元になって増えていった。グレングールドのヒンデミートだとか、「COUNTY GARDEN」と銘打って、ヴォーン・ウィリアムス、デリウス、グレインガーなんてあまり馴染みのない作曲家のガーデン・ミュージック(?)を集めた変なアルバムとか、つまり妙にディーブな物件がメッチャ安く買えるんでつい我を忘れて……、このあたりでまた手袋を失った。同じ左手だ。
翌日再び路上に目を泳がせながら歩いたのだが、今度は見つからない。また右手だけが残された。
職場からの帰途小一時間の間、あの左右の手袋の逢瀬は何だったのだろうか? これって白昼夢? だったらショボイ白昼夢だよなー。せっかく見るんだったら目眩く夢を見たかったよ。初老の白昼夢ってこんなものかなー。白昼夢なんて、そうそう遭遇しない機会だったのに……オシカッタ。
僕にとっての忘れがたい白昼夢といえば、中学生の時の記憶が深く刻まれていて、以来決して消え去ることがない。
その頃僕は田舎の中学生で、夏休みに東京に出てきて親戚の家に転がり込んで幾日かを過ごすことがあった。その夏もそんな風に上京していたのだろうが、その間、年長の従兄姉達が代わる代わる百貨店の試食巡り(いまで言えばデパチカ巡り)なぞに連れて行ってくれるのだが、誰も時間が空かない日もあったのだろう。その日は一人で後楽園遊園地に出かけていった。
昭和28年頃のことだから、今のようにド迫力な遊具などは全ったくなくて、極めて牧歌的なミラーハウス、コーヒーカップ、メリーゴーランドなどが点在していたに過ぎないが、田舎の中学生にとっては充分過ぎる異空間だった。
そこで見知らぬ美少女と邂逅して午後の半日を共に過ごしたのだね。ミラーハウスの向かい合う鏡の中に無限に重なり合って写り込む自分たちの姿をのぞき込む、映画の一シーンそのままって分け。テキの方が少々年上だったのかもしれない。どうしてこんな巡り合わせになったのか、いまだかつて不可解だ。田舎少年にからかい半分で声を掛けたのは、少女の方だったに違いない。(「でも当時、僕もそうとうカーイかったからな」などと、老獪の域に達したロージンはシレっとしていう。)夕闇が迫るまでこんな夢幻境で遊んだあの数時間は何だったのだろうか? それは間違いなく現実であったはずだが、次第に記憶が遠ざかって行くに従って、あれはやっぱり少年期の白昼夢であったのかなーという思いを反芻するようになってしまった。
以来、今日まで白昼夢からは無縁だったのだ。だからこの期に及んで手袋の方っぽが失くなったんてなさけない夢を見るってこたあないだろう。川端康成みたく眠れる美女の夢とまではいわないが、もうちっとばかり妖しいのでもよかったのに、残念!。
しかしこの冬以来、ちょっと右手が神経痛気味で、再び片割れになってしまった右の手袋をはめて寝ると具合がいいのだなー。夜寒の寝床に本を持ち込んで、それを支える片手をけなげに包み込んでくれている右手袋。大いに助かっている。これが初老の白昼夢後日譚。まいっか。

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2006.04.13

「江戸の声----黒木文庫でみる音楽と演劇の世界」に行ってきた

うーむ、企画展示ってこうでなくっちゃ。
「江戸の声----黒木文庫でみる音楽と演劇の世界」於:東大駒場博物館。5月7日まで。
 万人向きの企画ではないので、皆さんにお勧めというわけではないのだけれども、ちょっと僕には衝撃的な展示ですね。
 東大駒場で、しかもロバート・キャンベルさんというどう考えても外人先生の企画っていうところが、我が身の出自を顧みるに引っかかるところだけど、ま、しゃーねーか。東大の底力ってものは半端じゃねーなー。
 凡百の企画展示ってものが、大向こう狙いの臭みを感じさせてイヤだなーと思う御時世なんだけど、やっぱこの展示にはノーテンをがーんとやられましたね。展示物はいわば地味そのものなんだけど、現物がそこにあるからこその説得力とはこのこと。しかも、お宝をお宝にみせないさりげなさがニクイ。
 僕も実はある貴重資料の帰趨を制するっていうような立場に直面しているのだけど、そしてこれはしっかりと公開していかねばならない性質のものでもあるんですね。しかし、下手をすると大向こう狙いのゲスな開示になりかねないものなので、この際、変な色気を出さないようにしなければと気持ちを正しました。
 本日、午後4時ごろから小一時間をこの展示場で過ごさせていただいたけれども、その間訪れた客は、入るなり足早に通り過ぎていった若くもない青年(中年でもない)と、おそらくトーダイ新入生で舞い上がっていておしゃべりに夢中な女子2人づれだけ。別にねー、展示会ってそれでいーんだよなー。
 でも現物を踏まえて、江戸期の浄瑠璃繁栄と出版活動の相互関係をしっかりと説得する企画。芸能におけるケレンの生成過程を説いていながら、展示そのものからは極力ケレンを排除している。いわば江戸期のタレントとかそのオッカケとか、ノーベライゼーションとかね、そういったものの実情をつぶさに提示してみせる趣向なの。
 東大だからこれができるんだと言ってしまえば身も蓋もないけど、観客動員にのみ翻弄される昨今の企画展示をみていて辟易している我身には、グーンとコタえるものがありましたね。観客動員なんてどうでも良いとまではいわないけど、このままでは「鈍すれば貧す」で展覧会文化そのものが滅びかねない現状には、猛省を促すに足る展示でした。
 でも重ねて言っておくけど地味だからねー。入館無料だけどルンルンで行かないでねー。がっかりすると思うよ。
 でも建物は超グーだよ。ここを起点にして日本民芸館、東京都近代文学博物館、日本近代文学館をツアーしていくのは良い趣味かなー(結構悪趣味だっていう意見もあるけどね)。

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2006.04.06

小中一貫教育って何?

 区立9年制学校の発足で盛り上がっているけど、あれってなんだろう。この体制のどこに具体的なメリットがあるのかさっぱり分からないまま、事態が進行しているんじゃない?
 小中校ともその教育現場の運営が厳しいことは察しがつく。特に中学校の惨状は、かつて僕自身が子供を預けた経験から言って、もう今やドン詰りの状態だってことも想像がつくのだけれど、だからって、一緒になってうまくいくっていう勝算があるとは思えないのだけど……。水を差すようだけど、一緒になってさらに深刻な事態が待っているような気もするんだけどなー。
 9年制っていえば、ドイツの公立初等教育があらかたそうなっていますね。私は息子が小1の際に、一年間ほど滞独したのでこれを体験させた。でも1年間で帰ってきてしまったのであまり深刻な事態には遭遇しなかったけど、ドイツの9年制学校は問題大きいですね。あれからもうすでに四半世紀が経過しているので、多少改善はされたのかもしれないが、ここでのネックはギムナジウム問題。つまり小4で、ギムナジウムに進学できる子とそうでない子に振り分けてしまうから、その選に漏れた連中が荒れちゃうのですよ。特に7、8、9年生でそのままキャンパスにとどまっている生徒が大変。徹底的に投げやりになっていて、始業前には校門の辺りにたむろってタバコすぱーっ、鼻ピアスぎんぎん。先生も親たちもなーんにも言わないで、その前をくぐり抜ける。家内か私かが小学1年坊主の息子を送り迎えするのも同じルート。これはかなりな迫力ですよ。西欧式階級制度の厳しい現実を目の当たりにする、というわけ。
 かつて、戦前の旧教育制度では高等小学校があったけど、あれって昔のドイツの制度に倣ったんでしょうね。僕の亡父は商家の長男だったので、かつてこの高等小学校に進学したことがある。ただ、親から見た息子はまったく商人に向かなかったらしく、改めて旧制中学に入れ直したという経緯がある。そのため父はこれをきっかけにかろうじて大学進学を果たした。そんなわけで中学時代のことは良く回想していたけど、高等小学校に関しては多くを語らなかった。さまざま理不尽な思いをしたらしい。つまり、小学校校舎にそのまま居残りさせられた悔しさがあったんだろうね。
 9年制なんていえば、ちょっとみ丁寧っぽく聞こえるけど、このあたりの現象にどう対応するつもりですか? おそらく、6年生を終えた段階でかなりの「優等生」が抜けていってしまいますよ。この事態にどう対処するのかしら。現在の中学が抱えている問題をさらに深刻にした現実に直面しないですか? とてもやっかいだと思うのだけど。
 苦し紛れで目先を変えようってことなのかしら? その前にやんなきゃならないことに目を背けているんでしょうかねー。小中一貫教育推進の積極的な根拠が知りたい。

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