2018.10.10

『吾輩は猫である』校異表1-2

 九ポ堂版と岩波書店刊定本漱石全集第一巻(2016)の『吾輩は猫である』とを読み合わせて、校異表を作りました。是非ご参照頂きたいです。近代文学に於けるスタンダードテキスト作成に対する一つの態度表明です。老いの執念というヤツかな?

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2018.06.19

このブログは生き返ったのかな?

 身辺に色々あって長く放置していたら、有るときもう閉鎖するからブログを引き上げよという連絡を貰ったんだよね。で、てっきりもう無いと思っていたアドレスがどうもまだ生きているらしい。
 大阪地震の発生に促されて、googleで「方杖 塀」と打ち込んで検索を掛けたら、何と、塀脇でニッコリする美女に次いで「ブロック塀の恐怖」なる古い書き込みが挙げられていた。驚いてチェックすると、何と2005年12月に挙げた私の記事が現れちゃったですよ。驚いた。
 niftyからのあの通達は何だったんですかねー。
 でもうまく稼働するようだったら、ここでいささかの発言を復活しようかと思っています。
 どうなりますことやら(*_*)

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2014.12.23

少人数制クラスって?

小学校1クラスの生徒数を35人から40人に戻す(ってのは、何時から40人だったの?ワシが小1の頃は、生徒が教室に収まりきらずに廊下まで溢れていたなー。あの頃は定員なんてあったのかなー? あはは、それで廊下学習に憧れたものだ。少なからず志願者が居たんだが、先生の話を聞いてなくても良くできるヤツしかこの席は許されなかった。終戦直後の話だけど…)という問題についてジャーナリズムが喧しい。
早い話、日本の教育理念(初等教育だけでなく)が知識の詰め込みを基軸にする限り、35人が40人になることなんか左程の問題でもなかろう。これが50人であろうと、場合によっては予備校大全盛の頃の人気教室が100人以上を集めたなんてことにも通底している。まあ、できるヤツを猫っ可愛がりしてできないのを振り落とせば良いだけの話なんだから何ってことはない。
僕なんか、短大で教員を始めた頃は専門課程1クラスの人数が60人近く居たんじゃないか? こんな中でもできるヤツは決まっていて、教員だけではなく、学生間の誰もがその存在を認めている。それは暗黙の承認というやつだ。教員によっては、あからさまにこの優秀な学生の方にばかり目線を送るのが居て、そうすると忽ちクラス中の顰蹙を買うことになる。
こういった際の教員としてのコツは、良くデキル学生を無視してデキナイヤツをかまうことだ。合間には撒き餌を放つように心がける。あんまり効率の良い作業ではないが、時折このエサに食らいついてくるのがいて、これを潮に、案配良く飛翔していくのがいる。この様を眺めるのはいわゆる教師冥利に尽きるというのだろうか(ただ、デキルのを本当に無視しちぁあアカンよ。そこは阿吽の呼吸だね)。
話がずれていく。本題に戻さなくっちゃ。
今回ここでは、近頃話題の生徒数問題にイジメ問題を絡めて話してみようというわけだ。
僕は1982年に、小1に上がったばかりの息子をつれて1年間のドイツのミュンヘン滞在に赴いた。息子は幼時に大病を患っていて、小1になってもひ弱な感じの子だったので、周囲からみればこれは暴挙の類いだった。特に当時健在だった老父母の心配ぶりは尋常ではなかった。私達夫婦だって無神経に臨んだわけではない。早い話が、辛くもこの病から息子を助け出してくれた若い小児科医師からは「将来を保証したわけではありません。大事に育ててください」と言われていた。それほどひなひなした男児だった息子が、なんと一年間ミュンヘン滞在を経て普通の男の子になって帰国できたのだから巡り合わせというものは不思議なものだ。無論、成算があってとった行動ではなかった。彼地で生命に関わる重大な局面に遭遇しても、彼の人生にとって外地での暮らしは充分な意味があったと思えるようなドラマを設定するのも親の役目であろうというような悲壮な気分に駆られての行動であった。若気の至りだったことは、今になればよく分かる。
そんなわけで「ミュンヘンと言えばシュタイナーだなー」などとミーハーな気分のまま彼地に赴いたわけだが、行ってみて現地の反応を感じ取ると、現地ではこれがかなり特殊解だなーと感じた。「私立ならペスタロッチ・シューレじゃねーの?」といわれたりした。ま、別に私立学校にこだわっているわけではないし、いわんや当時、ペスタロッチを連呼する日本の教育関係者の人となり一般にかなり偏見を抱いていたりしたものだがら、「これは公立小学校に行かせた方が良いな」と、すぐ方針を転換した。
ミュンヘン滞在の当初、頻繁に領事館に赴いて色々世話を掛けたのだが、ここが我が家から2度電車を乗り継いで行く場所にあった。小学校の入学手続きには出生証明書が必要だから、戸籍抄本を持参すればこれに必要事項の翻訳を添付してやると言われた。かなり親切なんだろう。そこのところは良く解っていたのだが、入居したアパートの大家さんに小学校の場所を聞くとそこは至近の場所だと分かった(この大家さんがネオ・ナチのメンバーだったことをあとで知ったが、ここでは言わない)。それで物は試しとばかり、直接小学校を訪ねてここに入学させたい意向を伝えつつ、当時は青焼きだった戸籍抄本(当然、漢字を主体にした縦書き文書)に息子の出生地、生年月日などを添えて、これが日本の出生証明書だと言ってヒラヒラさせたら、女性の校長が「おー、ファンタスチック!」とか言って、即刻入学許可が降りたのには驚いた。
ミュンヘンに到着したのが9月当初だったので、あっちでは新学期始まったばかりの一年坊主のクラスに混ぜていただいた。担任は、ちょっとご年配のフラウ・コーネルト(コーネルト夫人)だった。この公立小学校に於ける1年坊主クラスの生徒数が20人そこそこだった分けですね。ここではこれを言いたいわけです。少人数制ってのは、35人が40人になるとかならないとかっていう議論の外にある問題。
近代式の教育制度は手本を西欧にしているといわれているが、その肝心な部分は少人数クラス制と週5日制、それも午前中しかやっていない(少なくとも低学年では)ってとこですかねー。これって現在の我国では全部無視されていますね~。
フラウ・コーネルトが教員としてどのような有能者であったかどうかは、比較する対象を持たないので全く分からないが、私達としては結果的に極めて感謝している。少なくとも彼女の懐の中で育んでいただいたほぼ一年間の間に、息子はすっかり人並みの元気一杯な男子に育っていったのだから。
この20人のクラスでは、担任の目が一人一人の生徒にすっかり行き届いていたということだろう。ま、いやでも目が届くという人数ではないかしら。編入当初、すでに日本人の男子Kがいて、これをフラウ・コーネルトは配慮していただいたのか、同じ国同士を並べて席を配置していただいた。これが結果としてかなり陰湿なイジメを招いたことに彼女は気付いて、席を離して下さった。彼女はこのイジメについて、先方の親には話していないと思っているが、どうだろうか? Kだって急遽新来の日本人男児が隣の席に座って、予想外の反響をクラス内に及ぼしたとしたらなかなか心安らかでは居られない。ドイツ語もろくすっぽできない(というか全~然話せない)。そのくせ、半年ほど早く日本で一年坊主になっていた我が息子は、算数や絵の時間になるととたんに颯爽としてしまう。目障りな存在であったに違いない。かなり陰湿にやられたらしい。
ところで、この20人クラスには息子とKの日本人が2人、それにワルだとの噂のミュヒャ(ハンガリー人、多分日本流に言えばミュシャ? この男の子と息子は程なく仲良くなって、母子で我が家に遊びに来たりしていた)がいた。つまりクラス内の3人はすでに外国人なのだ。この他にも外国人が居たのかどうか知らないが、不法滞在かそれにスレスレという感じでも学校単位では詮索しなかったのではなかろうか? 学校とクラス担任は、20人の子供同士の関係に心をくだくという姿勢だけで精一杯だったのだろう。ま、勉強については本人の興味の持ち様と資質にまかせるというか…。
一年坊主の登校時は親が付き添っていくのだが、帰りは自力で帰ってこなくてはならない。 この学校に通うようになって、どの位い経てからだったろうか? いつの間にか、ザールカンというトルコ人の子が自分のランドセルを背に、息子の分を前に掛けて帰ってくるようになった。聞けば、彼は学校切ってのワルだという話だったが、息子は訳も分からずザールカンと親しくなったのだ。これで息子はイジメとは無縁になったのだと思う。家内はザールカンの家に日頃の感謝の意を伝えたいと言って出掛けていった。ドイツ語でどういうやりとりがあったのか知らないが、彼の家には頭髪をスカーフで巻いた母親がいて、親しく迎えてくれたと言っていた。何か日本からの土産品でも持っていったのかもしれない。
こう書いていくと、息子はドイツ人とは親しくならなかったのかと思われてしまいかねないが、クラスで一番大柄な男子ベャンハルト(ベルンハルト?)とも親しくなった。この母子も我家に来て楽しく過ごしていったりしたが、この子の母親は息子がいじめっ子として要注意扱いを受けていると不満を漏らしていた。
あるとき、私は学校付近の広い幹線道路に沿った歩道を歩いていた。すると向こうからきりっとした顔立ちの少し上級生らしい女の子が近づいてきた。「あんたはSのお父さんか?」と聞く。そうだと答えると、「私が彼に気を配っているんだから心配しなくて良い」と言ってスタスタと行ってしまった。
イジメの問題は単純な話ではない。学校内だけでイジメがなければそれで良いのかという問題でもない。それにどう対処していくか、という子供社会の問題でもある。そこに制度としての学校教育がどうかかわっていくかの問題であって、学校内だけでそれを表面的に根絶できら、それで社会は安泰かというととんでもない話だ。
さしあたって、本来的な意味で少人数制をどう導入するかってことですね。
寺子屋方式を一見欧風に見せかけているだけの近代日本の教育制度が構造的破綻を迎えつつある現状をどう受け取れば良いのか?
これは小学教育だけの話しではなく、大学も同じ流れで難題に突き当たっているのではないか?

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2013.09.11

2020オリンピック開催と汚染水処理問題

オリンピック2020の開催地に東京が決定したってのには、改めて驚いた。まさかとは思っていたけど、スポーツ団体と目先の欲に駆られた政治権力の野合によってここまで思慮の浅い判断が下されるとは、いまさらながら愚衆支配に委ねられている現代文明の行く末にやり場のない絶望を感じる。
そんなこと言って見ても今さら手遅れなんだけど…、当面の問題は汚染処理にどんな解決策を提示し得るかだろう。向こう1年以内に大方の了解を得る方針が打ち出せるかどうか(国内世論を言いくるめる手法では通用しない)。危惧するのは、この時点で開催地返上ないし開催中止にでもなれば、「1940年の悪夢」再来ということになる。

そこで、どんな手があるかを考えてみた。
① まず、使用済み核燃料貯蔵プールに大量の水を注入した緊急時対応はやむを得なかったとして、これを今後の何年、何十年、何百年と継続するのか? その分だけ、汚染水は増加の一途。
やがて汚染した貯水タンクは東電の敷地を越えて果てしなく拡張。その占める面積がどんな速度で増えていくか? これはスーガクの問題ではなく、サンスーの問題でしょう。
② 貯水タンクの漏水問題。これは尖端科学技術の問題ではなく、…とはいえ、これは喫緊に直面する問題ではあり、しかもこの方式は明日にも破綻する。もう、破綻している。では別の方策ってありますか? 無いだろー、そこが問題なのだ。
③ で、使用済み燃料プールに大量の水を注入しつづけるのではなく、冷蔵庫と同じ方式でプール内に冷却管を挿入して冷やすってできないの? 現在、それほど水温度は高くないように思いますが? これってマンガ的(鉄腕アトム的?)発想なのかなー? 今のところ、ワシの頭はこの程度しか思いつかない。だったら、未来永劫に近く水を注入し続けるのだろーね。とすると、①に逆戻りします。
④ 水の大量の注入方式から逃れられないとして、そこから生じた汚染水をそのまま保管する(´Д`)。これはサンスー的にダメ。目下、「汚染水濃縮装置」が稼働を中断しているそうだけど、そのまま放置ですか? 単純な発想だけど、ウイスキー醸造装置のお化けみたいな施設を作って、水蒸気だけ大気中に放出する算段は取れませんか(これもマンガ的だと言われそうだが)? この方式では放射線物質も水蒸気と一緒に飛んでっちゃうの? 現状でもそういうこと? じゃあ無限に汚水タンクを増やして行けば、それだけ水の蒸発量も増加するわけだから、これもサンスー問題(タンク製作業者は永遠に受注を確保。ケーザイとしては得策、ケー団連にんまり)。どっちに転んでも、水のまま保管するってのはダメじゃん。汚染物質除去フィルターの話はどうなったんだろう。この問題を子々孫々の世代に相続やむなしとするにしても、大量の水のまま残すわけには行かない。兎に角、濃縮して保管する以外にないんだけど…(*゜д゜*)
⑤ で、「汚染水管理を完全にコントロールできている」と言う方も言う方だけど、これを真に受ける神経が大方を制する集団って何? ま、この問題の最終責任は、政治家やケーザイ界、エセ科学者の頭上を越えて、日本民族がその集団ごと世界に対して負わなくてはならないことになる。
まあ、それは兎も角として、フクシマ原発周辺を凍土による防護壁でで囲うという発想が提示されている。発想としてのダイナミズムには興味があるけど、技術的にそれが実現したとして、氷って結構それ自体に新陳代謝があるんでねーの? いわんや「凍土」には相当不純物質が含まれるハズ。ムギワラとか、アスベストとか…。その外いろいろな問題をクリアし、完璧な防護壁が構築し得たとして、それは地下何メートルまで到達するんだろーか? まさか数10メートルでお茶を濁すんではないんだろーな。で、その建設工事にはどれだけの歳月を要するのか。それが完成のあかつきには、永遠に電力を供給して冷却し続けるのか? そのためには原発の再稼働が必須だという論法(ケーザイ界にんまり)だろーが、この問題を子々孫々の世代に相続。
⑥しかし、問題はこれだけでは全く解決しない。防護壁が底なしでは何ーんにも解決しないのだ。どんなに頑強な擁壁を構築しても底抜けではダメ。地下水問題が残ってしまう。「完璧」な防護壁には、同じ性能で底を付けてやらなくてはならない。
日本の国土は、どこでも大量の地下水が流れている。15年ほど以前、JR武蔵野線新小平の半地下駅が大雨の後、地下水圧に押されて浮き上がってしまったことがある。そのために半年近く武蔵野線は不通を余儀なくされたではないか。いわんや沿岸地域での地下水流問題は「染みこむ」「漏れる」とかいうレベルの話ではないのだ。地下には川が流れている! この問題を土木関係者が指摘しているという話を聞かないけどどうなっているのだ、ダンマリか? 学会誌などにはそれなりに掲載されているのかもしれないが、翼賛マスコミがそれを無視?
⑦ 底なし擁壁ではそれ自体意味が無い。では底を付けたら良いじゃないか、と言われる向きもあろうが、メルトダウンした原子炉の直下に工事人が入るの? ロボットに任せようって? それでめでたく底が完工したとしよう。大雨で浮き上がったらどうする? 難しい問題は無限にある。
⑧ どうやって工事を実施するかは兎も角として、中華鍋のように球体の一部を切り取って、そこに原発施設をそっくり掬い取るような「完璧」な防護構造体を作ることは可能だろう。「世界中の衆知を集合して」という話もあるが、この程度のことなら準日本の科学技術で実現可能だ(数百本のスカイツリーを同時に作る程度の技術で可能なのかどうかは知らぬが)。ただその「完璧」な遮断性能がどれだけの期間、性能保持し得るのかは不明。この問題は次世代に負の遺産として申し送るしかない。
この点に、我がニッポン民族の財力、知力を結集しなくてはならないが、だからといって福島県を中核とする汚染地域住人への支援を怠ることは許されない。この問題だって、今後はより厳しく国際的なチェック態勢の目に曝されること疑いなし。
⑨ 過去の「歴史問題」の範疇では(現在でも?)、戦争で多くの犠牲者が生じたら「神さま仏さま、ごめんなさい」と懺悔すれば、それなりに許してもらえる余地があったような気がするが、この原発問題は「神仏の管轄外」にある。遅からず人類は神仏共々周辺の生物を巻き添えにして、滅亡のスパイラルに落ち込む確率が高くなった。
地球上の生物は、ある種の微生物のみがかろうじて生命維持していくのかも知れないが、再び人類に似た「知的」生物が発生するに至るのは、遙か◎億年先の話になるのだろーか。

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2013.01.06

『江分利満家の崩壊』との不思議な邂逅

『江分利満家の崩壊』山口正介著(新潮社 2012)。著者の山口庄介氏は、かつての1963年(うーむ、半世紀前のことだ!)、「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞して以来、流行作家として一世を風靡した山口瞳の一人息子。
 へそ曲がりで、ベストセラーを殊更に避ける癖のある私はこの本を読んでいないが、その後、大活躍した山口瞳が書いた断片的なエッセイ等は雑誌等でしきり読んでいたし、また当時海のものとも山のものとも分からないというか、低迷のどん底に沈んでいた私を何故か気に掛けてくれていた編集者のF氏が、壽屋のPR誌にかかわっていたりしたものだから、何となく自分がそのグループの周辺に居るような気がしていたので(他愛もないことをちょっと手伝わせていただいたりもした)、全くの他人とも思えないような存在でもあった。しかし、その文学的な真骨頂は今でも全く知らない。
 にもかかわらず、今回の『……の崩壊』には手を出してしまった、というか読んでしまった。そしてとても感銘を受けた。
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 実は、発行早々にこの本が国立の増田書店に平積みされたのを目にしてすぐさま手に取って見たのだが、購入するにはもう一つためらいがあった。それは私が『江分利満氏の優雅な生活』を読んでいなかったからだが、そのうちに結局買うんだろーなー、と思っていると別の書店でも本書の平積みを見かけるようになった。よく売れているらしい。そんならすぐ買えば良いじゃんとの声有り。そこはそれ、定年オヤジにとって可及的速やかに必要でない出費はじっくりと考えた末に……、結局は購入するにしても、店頭で繰り返し手に取りつつウジウジ楽しんで、購入の決断をするまでの時間経過を楽しむのである。この曖昧な時を楽しんでいるうちに、家内が買ってきてしまった。それで読んだ。そして感銘をうけたのだ。
 ためらいつつもやたら気にしていたのは、実は以前に若き日の著者庄介氏に遭遇したことがある……というか、ちらっと見かけたことがあるのだが、それはもう40数年も以前のことだ。この当時、著者は十代の青年と言うよりもまだ少年と言った方が相応しい年頃だったろう。その彼との一瞬の遭遇が深く印象づけられ忘れていなかったのだ。片時も忘れられないというような深ーい記憶ではなかったのだが、今回店頭で見つけたこの本の表紙に一人の壮年の大男がいまや立派なひげを蓄え、きちんとした面構えで両親と並んで立つ姿を見て、かつて得た鋭い印象がにわかによみがえった。
 その時の少年はとても生き辛らそうに見えて、おい、大丈夫かと声を掛けたいほどの心許ない風情を漂わせていたが、このオッサンはあの時の少年御本人なのではなかろうか? ぱらぱらとページを捲ってみると山口家の一人っ子だと記しているから間違いはない。かつての一瞬に得た印象が私の記憶に鋭く刻み込まれたのは、それは他人事でなく、当時やっと二十代の半ばに達し、浮世のメカニズムに沿った行き方をギクシャクと始めたばかりの私にとって、つい十年ほど前には自分自身が陥っていた若年時の息苦しさをと同種の心許ない姿が、この若者に映し出されているように見えてドキッとしたのかもしれない。
 その時私は、ある新鋭女性建築家によって新築なった山口瞳邸を某建築誌の下っ端編集者として取材に訪れ、瞳氏の談話を取りつつ写真撮影に付き添って、家中をくまなく覗き回った。その際に若き正介氏を瞥見したのだ。
 あの少年がこんなに立派になっちゃって、良かった、良かった。後にも先にも彼を見かけたのは一瞬の出来事で、後々その時の邂逅を反芻したわけではないのだが、あのとき受けた鮮烈な印象が、脳裏のどこかに張り付いたまま剥がれ落ちないままだったのだろう。何だか大げさな言い回しになってしまったが、それだけ、この本の表紙で山口瞳夫妻と共に立つオジサンが醸し出すオーラに強い感銘を受けた。
結局この本の主題は、極めて個性的な存在であった著者の母親で山口瞳夫人であった治子氏に著者および山口瞳ともども、徹底的に振り回されたのが、『……の優雅な生活』のもう一つの側面であった、という種明かしであるらしい。「らしい」というのも無責任ないいかただが、つまり私は山口瞳の主著と言われる『血族』も読んでなくて、文学的な邂逅を全く果たしていないとは、このことを言っているのだが、にもかかわらず『……の崩壊』を読了しての感慨はとても強かった。
 戦後核家族の出現で巷におびただしく生じた濃密すぎる親子関係では、親が抱く価値観を子供に重く負わせて養育しようとするあまり、結局、子供の個性を食い潰してしまっている例を数多く目撃し、ほかならぬ私自身が危うくその渦中にあった時期を経ていたことから、若き日の正介氏との邂逅が記憶の底に強く印象づけられていたのだと思う。それが予期しないタイミングで生々しく現前したことへの驚きがあった。
 かつての腺病質な印象の少年は、還暦を迎えた立派な姿で忽然と再び立ち現れた。嬉しい出来事である。
個人的な感慨に耽るだけで、書評としての体をなさない言葉をつらねてしまったけど、親子関係の中でもがきあがきながら生きた、あるいは生きる現場体験者には身につまされる文章であると思う。


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2012.12.15

九ポ堂上掲.pdfの読み方について

「九ポ堂/DTP/電子ブック」に上掲した.pdf版はモチロンただ読みして下さい。ちょっとだけ「立ち読み可」なんてケチなことは申しません。そんな「反ネット的」な処置は一切なしです。この.pdfは全部読めます。もしかしたら、そのうちお洒落な「紙の本」として九ポ堂から上梓(!)するかもしれないですが、その節はよろしく。http://goo.gl/hCQ2A
 .pdfのdownloadの仕方は色々でしょうが、ここでは特にスマホやタブレット端末を意識して作りました。iPadではいまのところ「i文庫HD」アプリがお薦めです。「九ポ堂/DTP/電子ブック」のページhttp://goo.gl/hCQ2Aで、いずれかの本の扉表示をクリックしていただくとすぐdownloadが始まりますが、右上に「iBooksで開く」「次の方法で開く」の表示がでます。「次の方法…」で「i文庫HD」を指定していただくと良いわけです。
 iBooksは、あらかじめiPadに乗っているので、もちろんこれで繙読可能です。しかしこのアプリはapple提供の書籍には「ページ捲り」の機能が有効ですが、自前で(タダで)UPした.pdfを繙読する際には対応していません(2012/12現在)。で、ちょっと有料ですが「i文庫HD」ですと「ページ捲り」が楽しめます(クダラネーという向きにはお薦めしません)。
 これだと「右開き」「左開き」のどちらかが指定できますので、縦書きの本なら「右開き」を指定してください。自作、他作の論文、小説、その他さまざまな日本語文書(マイナーで結構)を.pdfに仕立てるのは簡単ですので、こうすると結構リッチな気分になりますゼー。
 ●ここで『吾輩は猫である』を2段組にしたココロはロージン向けの涙ぐましい配慮であります。縦書きの場合、拡大すると版面がすぐディスプレイからはみ出してしまう。すると一行毎にスクロールして読まなくてはならないという実に馬鹿げた事態に遭遇します。それを避けるための「行届いた配慮」の表れがあるのだと、ご老人の方々にご推奨いただけるとありがたいです(タブレットの操作そのものがアカンか。じゃあ、アナタの老後にどうぞ)。
 で、もしかして『猫』なんて中学時代の読書感想文を書く際に読んだから……とおっしゃる向きも多いのでは? これを中学生で読んだのはマチガいでしたよー。せめて、30最以上の家庭人ないしはその経験者がお読みいただくことをお薦めします。あなたが50歳以上でしたら心に沁みます。もっとも漱石はこの『猫』を38-9才にかけて書き、49才で死んじゃったんですよねー。10年間の活動期を一気に駆け抜けた人です。天才って言うのは当たっているけど、文豪にして奉っちゃうのはどうでしょうか。
 家柄としてはともかく、実際の育ち方は江戸庶民階級のそれだった。幼少時に罹災した疱瘡で顔が月面状態だったそうで、これは当時にあってもすでにオボッチャマの罹る病ではなかったそうです(千円札の肖像は修正もの)。
 それだけに江戸下町の人情と落語的気っ風にどっぷりと浸った生涯だったと思うのですがどうなんでしょうか? その後の権威化が甚だしい文豪像からは相当乖離した生き方が、『猫』における奥さんや姪っ子とのやりとりの絶妙さから伺うことができます。落語を楽しむ気分で味わって下さい。底本に関する解題は、http://urx.nu/2LGJ
 ●『中華料理の作り方百六十種』の著者山田政平は、私の亡き母の叔父に当たりますが、17才にして(1910年!)中国に渡り、それまでは満漢全席等の宮廷料理として日本に紹介されていた中華料理に対して、庶民料理としてのチューカ(ラーメン、餃子、肉マン、シューマイ等々)を早い時期に紹介した一人です。無論、筋金入りの民主主義者でした。私はとても尊敬しています。彼の心意気に反することは絶対にできません。本書に関する解題は、ある程度.pdf内で試みていますが、奥歯に物が詰まった感は拭えません。悪しからず。ところでここに上掲した.pdfにはページ配分等にまだ不備があります。なるべく早めに修正しますので、よろしくご容赦ください。

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2012.12.06

武蔵美『書物の美』展で寿岳文章と遭遇する。

 もう終わっちゃったけど、先ごろ武蔵野美大で開催された『近現代のブックデザイン考Ⅰ・書物にとっての美』展カタログに寺山祐策教授が寿岳文章氏について記されているので、つい昔のことを思い出してしまった。
 僕は1970年に武蔵美に奉職して以来、事実上永らく寿岳さんの『書物の世界』を下敷きにしてきたので感慨深い。反面、寿岳流書物愛にはまってしまってそこから抜け出るのが難しく、一方で難儀な思いもした。今では寿岳書誌学はいささか英国流に偏しているのかな? とも思うようになっているが、この辺り関して、この企画が今後どう展開してくれるのか楽しみである。この半世紀というもの、書物デザインのあり方がグラフィックデザイナー先行で来たように思うけど、いわばデザイン本流のムサビ総本山でこの企画が立ち上がったことに期待が膨らむ。
 ところで、寿岳さんは昔、私の家の風呂に入っていったことがある。私が高校生の頃だから半世紀以上前のこと。何のことはない、隣家が寿岳さんの親戚だったのだが、そこには五右衞門風呂があって、寿岳さんはこれに入浴するのを楽しみにしていて、時々来訪していたらしい。その日は滅法蒸し暑い夏の日で、私も家に居たのだから夏休み中だったのかもしれない。当時、寿岳文章といえば当代きっての教養人として名を轟かせていて(一介の高校生だった私はそんなことは良く分からなかったんだけど……、当時理科志向だったし)、隣家では少壮科学者である婿さんが古い鉄釜風呂をムキになって磨き上げたら、やり過ぎて釜の底に穴を開けてしまい水が張れなくなった。そこへ汗水たらした寿岳先生がご到着。風呂釜の有様を知ってがっかり、所在なく縁側(昔は何処の家にもこんなものがあった)に掛けて一息入れていると、隣家の風呂の煙突から煙が出ているのを発見した(当時は石炭を焚いてもくもくと黒煙をあげていたんだよね)。
 そこで「隣家の風呂を借りられないだろーか」と文章氏が言い出したらしい。当時、我が家と隣家とはことのほか親しくしていたこともあって、早速、風呂を使わせろとの伝言が届いたというわけ。母はそれを聞いて驚愕し、固辞した。天下に轟く著名人の寿岳先生などとても恐れ多くてお迎えする状況にはなっていない、という理由で。何となれば、当時この近辺はまだ水道も通じていなくて、各戸が手押しポンプで井戸から水を汲み上げ、バケツリレーで風呂水を満たす。それでやっと風呂を焚く準備ができると。つまりえらい労力を必要とするので、そうそう頻繁には水替えをしない。ぼぼ一、二度は炊き直して入るということをやっていたのだ。当時、その主たる労働力は私というわけ。事もあろうに、その日はあまりに暑かったので滅多にやらない三度目だかの炊き直しをした日だったってわけ。親父は単身赴任で島根に居たけど、母と汚れ盛りの男の子三人の四人が小さな湯船で三回目の沸かし直しで入った後だった。湯は白濁しているのだよ。寿岳先生は「それで良い」という。「そんな滅相もない。では水を張り替えて新たに沸かしますから少々お待ちください」「そんなことをしていただくいわれはない。ちょっと一汗落流したいだけだからそのまま使わせてください」と、手ぬぐいを下げてやって来てしまった。以来、ずっと後々まで母は「あの時は面目なかった」と、繰り返し言っていた。
 当時の超著名人であった寿岳先生は、まあ今日で言えばテレビに良く顔を出すタレント教授みたいなもので、私は有名人が我が家の風呂に入っていった、という程度の認識はあったものの、それからかなりの後、先生がある意味で心の支えとしてのっぴきならない存在になるとは思いもよらなかった。あの「ウチのお風呂に入っていった」寿岳先生にすっかり私淑してしまう事態になったなんて、巡り合わせとは不思議なものである。
 それから更に後になってから、若年の寿岳先生は家庭の事情からある寺の小僧として出され、随分御苦労と苦学を重ねられた方だと知った。濁って汗臭くなった風呂に浸かるなんて、ちゃんちゃら平気なんだってことを知って更に親しみを抱くようになった。

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2012.11.21

ジョセン族の所行

 未曾有の大震災に便乗する「ガレキ族」は、ガレキを遠方に輸送する際の巨額な運送料稼ぎで「経済の活性化」に貢献している。これが被災地の復興にはほぼ無関係であることは自明だ。ここで生じた金の流れが何処に向かい、何処に滞留しているのか、当然ながらマスコミはダンマリを決め込んでいる。
 同じ震災便乗族として「ジョセン族」がいる。11/20『東京新聞』のトップによれば、「福島 終わらぬ除染 線量が再び上昇」とある。大分以前もtweetしたけど、除染行為は一定区域内の線量を一時的に下げる効果があっても、恒久的な除染を実現するのは不可能であることは、すでにチェルノブイリで実証済みで、このことについての丁寧な報告を私は●●新書(忘れた)で読んだことがある。この本を読んだのは3.11より遙か前だったから、別に「原発再稼働反対」の立場で書かれたものではないところに重要な意味があるだろう。
 自分の机の上だけをどんなに綺麗に拭き上げていても、ちょっと放っておけばどこからともなく埃が吹き寄せてきて元の木阿弥。自然とそうなってしまうのだ。机が埃を吹き出すのではない。埃は周囲から吹き寄せてきて、周囲の状況と卓上とを平準化してしまう。これは自然の摂理。だから、卓上を永久に無埃状態にしておきたければ、机そのものを周囲から隔離して真空状態の空間に置かなければそれは達成できない。
 いわんや自然の風土は風雨に曝されてところかまわず土砂を巻き上げる。だから除染後の地域は自然から隔離されなければならないことになる。
 日本には、深山渓谷、里山、河川、牧場、田畑とあらゆる自然環境が豊かにそろっていて、相互に緊密な関係を維持している。そうであってこそ我が風土なのである。加えて天候は雨風雷雪の四変化。おまけに台風も来る。津波も地震も来たではないか。
 こんな自然環境を平準的に除染するとすれば、都市を含めて全ての地域を一様に一皮剥いてしまわなくては実現できない(削り取った土塊で巨大な人工の山が幾つ出来るのか私は知らない。それも完全密閉してね)。それも一気にである。時間を掛ければ、その間に雨も降り風も吹く。そしたら一度除染した地域も元の木阿弥。恒久的な除染などが理論的に不可能であることは誰でも解るだろう。しかもチェルノブイリがご丁寧にもこの事実を実証してしまったのである。
 それでもチェルノブイリがどうしたかといえば、「みんな逃げろ」と。これしかないんだけど、わが国では「ジョセン族」がおいしい獲物の山に蝟集しているのを許しているあいだに事態が絶望的な状況に突入しつつある。
 昔、中学校の掃除当番で、箒を振り回すだけで一向に有効な清掃活動を行なった経験がなかったかつての青少年諸君。「ソージなんてしたってムダ。意味ねージャン」とした認識の深遠なる真理をこそ、いまこそ力強く主張していただきたい。

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2012.05.22

ススガラスで金環日食を視た。

 TVが「ススガラスなんかでは絶対視ないように!」と絶叫するのもものかわ、自信のススガラスを作成。家内中で取り回して世紀の天体ショーを堪能。
 TVのあの有無を言わさぬススガラス排斥は何だったのだろうか。やはり「文科省+日食フィルター業界(こんなものあるのかね)」との出来レースだったんじゃねーの?
現に「日食観察フィルター」の売れ行きは異常なまでで、当日までにほぼ売り切れだったようだ。中には不良品として販売中止を食らった製品もあったようだが、その他の製品が全部「安全」だったのかどうかアヤシイものだ。
 フィルターを買い損ねたまま当日を迎え、「結局サングラスで視ました」とか「下敷きで視ました」とかいう話しを結構聞いた。これは相当危険な行為でゴザイマスヨ。むしろTVは正しいススガラスの作り方を繰り返し放映し、最終的には自己責任であることを民衆に熟知させるべきなのが「民主的ジャーナリズム」の本来の在り方でしょーが。つまり民衆に自主性を促す好機を逸したなんて、TV屋はなーんも感じていないだろーなー。役所の都合で言えば、面倒くさいから「全部禁止」にしてしまつて、事故があっても当局は関知しないって方が遙かに責任逃れになる。つまり上から目線でヒト(「人民」とも言う)を馬鹿にしている。
 まあ我國のマスメディアが如何に民主的とはほど遠い位置にいるかは、例の原発報道を契機に露呈されてしまっているから、たかが日食網膜症対策ごときことにゴチャゴチャ言うなと言うことかも知れぬ。現に「全国で少なくとも16人に上ることが、日本眼科学会の調査でわかった。」と読売が伝えているようだが、これってマジ? 160人だって1,600人だって驚くべき数字だと思うけど(16,000人だって驚かない。むしろこの位の数字の方がノーマルだと思う)、この大政翼賛的宣伝効果の徹底ぶりは大成功だったということだろー。このファシズム的統制体制ぶりには、かの北方某国も垂涎するところ絶大であることは疑いない。
  何ら合理的な説明もせぬまま、ただ「使うな」の一点張りで右へ倣えさせる愚民支配の手練を一度でも味わってしまえば、その甘味な恍惚感を手放すのが難しくなるのもむべなるかな。
 「かつての皆既日食の際には、太陽が三日月状に欠けるのが観測された(日食は何時だって三日月状に欠け始めて三日月状で終わりますがな。無知極まりないデスクが前夜の酔眼醒めやらぬままに書いた原稿をそのまま棒読みしたんだろう)」とか「ベルギーから日食観察にわざわざ日本を訪れた一団が、こともあろうに渋谷街頭で空を見上げている」と驚く若輩TVアナウンサーがいた。「足の便からも、経費から言ってもここが良いんだと仰ってます」だって。その通りだろーが、テメー。能天気なこの男は「折角日本くんだりまで来たんだから、ここでケチしないでもう一息田舎まで足を伸ばして天体望遠鏡でも覗いたらどうなんだ?」とでも言いたげである。今回の金環日食観察には、都心が絶好の場所だってことすら知らないで辺りをウロウロするな。テレビマンってのは超エリートなんだそうだが(本人達の顔つきにもその得意ぶりが露呈している)、おバカでもエリートになれるんだっていう標本だね(バカタレの方が遙かにリコーだってことすら知らない)。
 日食問題ごときだから見過ごしても良いのかも知れないが、原発問題についても全く自ら学ぶことなく「政治的謀略」にとって都合の良い「情報」を垂れ流すだけで浮かれ調子な連中には天誅を下すしかないだろーなー。
 どのTV局だったか忘れたが、4月初旬、自局の新入社員歓迎会だかで阿波踊りのような手振りで踊り狂っている若者達をチラッと映し出したのには驚いた。憧れのTV局への就職するための難関突破を果たし嬉しくて踊り出すのは仕方がないが、この嬌態を全国ネットに垂れ流すなってーの。

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2012.03.05

T.T氏への手紙

TTさま

昨年の暮れにお便りを頂いていながら、返信が大変遅れましたことをお詫びします。大変お元気そうで、先ずはなによりでございます。

私の方はと申しますと、家内、息子夫婦、そして私もつつがなくやっていますが、実は私の実母が、昨年の十一月半ばに他界しました。長男の私達とずっと一緒に暮らしていましたが、晩年にはかなり手も掛かり、それが大いに家内に負担をかけてまいりました。あと三ヶ月ほどで百歳に到達するところだったのですが、昨夏、体調を崩して入院。それから三ヶ月の病院生活を経た後に旅立ちました。

家内の云いますところによりますと、自分の実母と過ごした年月より長い時間を私の母と共有したことになります。そう言われると確かにそうで、しかも必ずしも互いに気の合う相手ではないわけですから、家内には結構大変な思いをさせたものです。こんな事態を日本では「嫁姑の確執」などと昔から云ってきたのでしょうが、ドイツでのこういう問題は、どんな風に処理されているのでしょうか、興味のあるところです。

いざ母に死なれてみると、家内にとっては、かなりもつれ合って時間を共有していた部分が、一気に失せてしまったことに一時呆然とし、ここから生まれた欠落感から逃れ出るのに大変手間が掛かっているようです。少しづつですが、自分の日常を再構築しつつあると思いますが、まだしばらくは要注意でしょう。「想定外」の成り行きでしたが、私の方が冷静に事態を受け入れたような案配でした。

私達があなたのお世話になったのは、一九八二年頃だったと思いますが、あれからすでに三〇年の年月が経ているわけですね。時代も大きく変転したわけです。実は、数年前に二、三日をミュンヘンに滞在したことがあります。その節はドイツ人の人情にさほどの変化を感じるようなことはなかったのですが、一貫してそこで暮らしていらっしゃれば、確かに大きな変化を感ずるところがあるのでしょうね。

ケータイやメール交換でコミュニケーションを取る生活は、私自身もかなりこれで間に合わせて居るので、この事態をあまり深刻に受け止めては居ないのですが、確かに、他人との直接的な接触を好まない若者が多くなっている事態はこちらにも伺えます。実態がどうなのか、統計的に確かな裏付けは不明ですが、日本の若者が海外に出たがらなくなっているとは、近頃良く聞こえてくる話です。無鉄砲に海外に出て行く元気な若者がとても少なくなっているようです。この点は確かに大変心配ですね。

今、ドイツに於いて政治的文化的にトルコ人の台頭が著しいという、あなたのお話はなかなか衝撃的です。私が滞在していた三〇年前には想像も出来なかった事態ですね。云われてみればさもありなんとも思いますが、これからの歴史の推移を見詰めたいですね。こちらでは、あの三・一一以来、多くの外国人が国外に避難しましたが、これは当然なことであるはずなのに、日本のジャーナリズムはこぞって「外国人の薄情」をなじることに躍起になっていました。島国根性丸出しです。ここのところの世論は、なるべくあの地震と原発の事故を過小に評価し、ともすると無かったことにしたいような空気を感じます。かつての太平洋戦争による敗北を無かったことのようにしたかった心情に通じるものがありますが、とんでもないことです。私は、この事態の処理をどうするのか、諸外国から遠巻きに見詰められている視線をひしひしと感じますが、何かというと事態をカネの問題にすり替えてまんまと儲けようとしたり、事実を隠蔽して内輪で済ます小細工に明け暮れる「政治、経済、ジャーナリズム連合体」の動きが、外からどう見えているのか大いに気になるところです。

大地震災害を受容する諦念は、千年にわたる古きから我が民族に備わっていたものらしいことが、この一年ばかりの推移で明らかになってきましたが、原発事故の現実をこの民族性のなかで希釈してしまいたいとする思惑は、とてつもない天罰を誘い出すのではないかと恐れています。

とは言うものの、このところは日々に春の気配を感じさせ、さし当たっては安穏な日常というのでしようか? ミュンヘンの春までには少し時間が必要でしょうか? またお目に掛かる機会があれば楽しいですね。ご一家のご多幸をお祈りいたします。

         二〇一二・三・四  於 東京

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